鎌田 實 著 『あきらめない』 集英社刊
| ☆あるがままに生きる
・迷惑をかけるってなんだろう (P96〜P98) 哲学者が対論のあと話してくれた。元全日本フライ級チャンピオン、たこ八郎こと斎藤清作は、「自分の青春だから、間違えたってかまわない、と思ってた」と語り、頭のてっぺんを剃り、「河童の清作」と呼ばれた。 難聴と視力障害に負けず、ノーガードで、打たれても打たれても突進するスタイルは、ボクシングファンの心をつかんだ。 梶原一騎とちばてつやが描いた『あしたのジョー』の破滅的な主人公のモデルになったといわれている。ボクシングを引退したあとは、コメディアンになった。人気者だった。 たこが突然死んだ。 酒に酔ったたこは未明、海にもどって行った。自殺かもしれない。ただ酔っぱらって海に落ちただけなのか。やっぱりドジを踏んだだけかもしれない。翌日のスポーツ紙には、「たこが溺死」と、見出しがついた。 壮絶。悲しい死でさえ、人を笑わせてしまう。心が痛む。 「た、た、たこでーす」と、あの世でも人を笑わせているのかもしれない。 鷲田清一はたこの残した言葉、「めいわくかけてありがとう」を哲学する。ねじれた不思議な言葉である。迷惑かけてゴメンナサイと謝罪しようとしたが、感謝の心が上まわってしっまて、自然にゴメンナサイがアリガトウになってしまったのかと、ぼくは思っていた。鷲田清一は関係論として、さらに深い分析をする。
厄介ものとして遠ざけられるのではなく、「めいわく」がまわりのひととのあいだになり立ったことそのことに、たこは「ありがとう」と言いたかったのだろう。 ・・・・・・その関係のもう一方の端から、「めいわくをかけてありがとう」という(彼に関わった隣人の)声も生まれているはずだ。 (鷲田清一著 『弱さのちから』講談社) 迷惑かける側と迷惑かけられる側の双方が、ありがとうと言える関係がすごい。泥酔して、舌の回らない酔っ払いの言葉、「めいわくかけてありがとう」を、両腕を下げて、わざと顔面を殴らせる捨て身のスタイルのためにパンチドランカーになった、たこの単なる言い間違いとせずに、哲学していくと、そこに深い意味が見えてきた。支え、支えられる関係の哲学を実践した、たこ八郎おそるべし、と思った。 永遠の少年のようなたこがいた。 |